2021年


ーーーー1/5−−−− 蕎麦打ち道具


 
昨年12月に、念願の蕎麦打ち道具を購入した。必須アイテムは蕎麦切り包丁であり、その他の道具、こね鉢や、のし板や、麺棒などは、家に有るもので代用できなくはないが、やはりちゃんとした道具を揃いで手に入れたいと、数年前から思っていた。自宅で本格的に蕎麦を打ちたいと思ったからである。

 8年ほど前から、地元旦那衆の有志で「そば会」なる集まりを、月に一回のペースで持ってきた。メンバーの一人が所有する蕎麦畑で蕎麦を収穫し、脱穀し、唐箕を使って実を選別し、それを製粉場に頼んで粉にし、自分たちで蕎麦を打って食べるという会である。その会の発足に当たって、メンバーの一人が蕎麦打ち道具一式を購入した。個人の持ち物であるが、それをそば会に提供して、皆がその道具セットで蕎麦を打つようになった。おかげで一同の技量は次第に向上し、「もう店で食べる気がしない」などという言葉が出るくらいになった。そこまで充実した活動が続けられたのは、あの道具セットがそれなりの品質を有していたからだと思われる。

 昨年の秋に臨時収入があった。国勢調査員の報酬が入ったのである。その一部を充てて、蕎麦道具を購入することにした。初めは包丁だけのつもりだったが、家内が「一揃い買ったらどお?」と大胆なことを言った。そこで、そば会で使っている物と全く同じセットを入手するアイデアが浮かんだ。慣れ親しんだ道具なら使い易いし、もしそば会に貸し出すようなことがあっても、ご一同にとって具合がよかろう。ネット通販で、そのセットが格安で売り出されるのを見付け、販売開始の時刻ピッタリに申し込んだら、ゲットできた。

 届いたセットは、大きな段ボールに入っていて重く、宅配便のお兄さんがひるんでいたので、私が手伝って家に入れた。開梱して出てきたこね鉢の大きさを見て、家内は「家庭で使うサイズじゃないわね」と言った。その一言で、私はなんだか無駄な買い物をしたような気がして、気持ちがダウンした。

 地域の農産物販売所で、地元産の蕎麦粉と小麦粉を買ってきて、蕎麦を打ってみた。一回目はボソボソで失敗、数日開けた二回目はまあまあの出来だった。作業をする場所や、蕎麦粉が変わると、水加減が難しいのである。その後、友人が我が家に来て忘年会をやることになったので、その時も蕎麦を作って振る舞った。大晦日前日は、マツタケの会のメンバーが集会場に集まり、蕎麦を打った。マツタケ山の山主5件に配る蕎麦を作り、さらに関係者2件と自分たちが自宅に持ち帰る蕎麦の合計12玉を打った。作る量が多かったので、従来の道具に加えて、私のセットを並行して使った。早速の出番で役に立った。

 翌日の大晦日は、次女夫婦がやってきたので、自宅で年越し蕎麦を打った。それやこれやで、新調した蕎麦道具は早くも4回の出番があった。振る舞った蕎麦は、それなりに客人を喜ばせたようだった。無駄な買い物をしたという後悔の念は薄れて行った。

 蕎麦三昧の年末になったのだが、一つ気になることが生じた。作った蕎麦は、多少量が多くても、無理をして食べることになりがちだ。そのようにして限度を超えて腹に入れると、体調がちょっと怪しくなるのである。特に大晦日の蕎麦は応えた。夜になって布団に入って寝ても、体が冷え切った感じがして、眠りが浅かった。そして腹がもたれて重いような気がした。それは私だけでなく、若い連中もそうだったらしい。そういえば、友人との忘年会でも、蕎麦を食べるペースが途中でぐっと落ちた。友人は、蕎麦は美味しいのだが、寒くて箸が進まなくなったと言った。

 蕎麦は体を冷やす食材なのかと思った。蕎麦殻の枕は頭を冷やすから良いとされる。蕎麦という植物は、ヒトの体を冷やす性質があるのではないかと。ところがネットで調べたら、異口同音に逆の事が書いてあった。蕎麦は体を暖める食材だと。蕎麦とうどんを比べれば、うどんの方が体を冷やす食べ物なのだと書いてあったのは、意外だった。

 同じ温度で供されれば、そういうことになるのかも知れない。蕎麦だって、熱い汁に浮かんだものをフーフーさせながら食べれば、体を冷やすイメージは無い。問題は、手打ち蕎麦は茹でた直後に冷水に入れて締め、ぬめりを取る。だから笊に盛られて出てくるときには、かなり冷たくなっている。それをかき込めば、体が冷えるのは当然だ。しかも蕎麦の旬の冬場は、気温も水温も低い。冷えた体に冷たい蕎麦を入れるのだから、生理的な問題が起きても不思議ではない。

 考えてみれば、蕎麦を無理やり腹一杯食べる東北地方の「わんこ蕎麦」は、暖かい汁をくぐらせたものだ。信州の山間部で食べられている「とうじ蕎麦」は、野菜や鶏肉などの鍋に、小さな笊に入れた蕎麦を浸して食べるというもの。煮蕎麦とは違ったやり方で、暖かい蕎麦を食べるものだ。

 せっかく作った蕎麦を食べて、体調を崩しては仕方ない。蕎麦を美味しく楽しむための趣向を、供する温度も含めて、考えてみるのも今後の課題となりそうだ。

 なお余談だが、蕎麦を腹一杯食べると、寒くない時期でもしばらく体調が冴えなくなることがある。人によっては、蕎麦アレルギーというものがあり、かなり恐ろしい事態に陥るらしい。そういう意味で、蕎麦は癖が強い食材であり、体質、体調にもよるが、概して度を越して摂取すべきものでは無いかも知れない。




ーーー1/12−−− 新しい石油ストーブ


 
ダイニングキッチンのストーブは、ポット型の石油ストーブで、この家を建てた当時に購入した物だから、30年近く経つ。このストーブ、数年前から調子が悪くなってきた。のぞき窓のガラスが、すぐに黒くなって、内部が見えなくなるのである。おそらく燃焼状態が悪く、煤が多く発生しているのだろう。家内は、「以前より暖かくないみたい」とも言う。さらに最近になって、点火時に激しく燃焼し、不安を覚えるようになってきた。こういうタイプの石油ストーブは、点火操作をすると送風が始まり、しばらく経ってから灯油が炉内に入り、電熱ヒーターによって点火される。本来なら少量の灯油が入った時点で火が付くはずだが、何か具合が悪くなっていて、かなり灯油が入ってから火が付くようになった。だから暫くの間、怖いほどの勢いで燃焼するのだ。事故が起きてからでは手遅れなので、このストーブは廃棄することにした。

 代わりのストーブをネットで探してみた。この部屋は14畳の広さなので、ある程度の熱出力が必要だ。まず探してみたのは、小型のポット型ストーブである。以前あるレストランでそういうものが使われていて、気になっていたのである。小型にこだわる理由は、これまで使っていたストーブは大き過ぎたからである。学校の教室で使うような代物で、燃料のダイヤルはいつも最小でしか使わなかった。何故そんな場違いなものを設置したのか、今となっては憶えてないが、ポット型のストーブと言うのは、そういうグレードが一般的だったのかも知れない。

 結局ポット型は諦めた。好ましいサイズの物は、あるには有ったが、燃料の配管を引かなければならないので、候補から外された。これまで使ってきたストーブは、タンク付きだったのである。

 FF式のヒーターも、一瞬頭に浮かんだが、やはり諦めた。壁を貫通する換気パイプの工事と、燃料配管工事に費用がかかるからである。

 最終的に残ったのは、強制通気形開放式石油ストーブであった。一見FFヒーターのような形状で、送風ファンが付いているのだが、室内の空気を取り込み、燃焼排ガスも室内に放出するタイプである。15畳まで使えるものなので、熱出力には問題無い。こういう形式の石油ストーブがあるとは、知らなかった。取り外し式のタンクを内蔵しているので、場所を変えて使うこともできる。もちろん燃料配管は必要ない。室内の空気が汚れる恐れはあるが、我が家は部屋の仕切りのドアや襖を開けっ放しにしており、それに隙間だらけの家なので、あまり心配はしていない。点火や消火の時の臭いがどうかと思ったが、そういう事にも技術革新は進んでいるようで、心配したほどでは無かった。

 手頃な価格で、便利な物が手に入り、満足した。昨年秋に買い換えた風呂釜給湯器もそうであったが、現代のボイラーやストーブは、10年以上前の物と比べて格段に品質が向上している。古いものを大切に使うという事は美徳の一つではあると思うが、性能の低さや不便さを我慢したり、事故が起きそうな物を騙しだまし使うような事は本末転倒であろう。家電製品などは古いものをとことん使い、おそらく世間一般の耐用年数をはるかに越えて使い続けるのが我が家のこれまでのやり方だったが、そういう事に固執し過ぎるのは如何なものか、と思うようになってきた。




ーーー1/19−−− 食器を割る人


 
母はよく食器を落として割る人だった。若い頃はどうだったか知らないが、私が物心付いた頃には既にその傾向が明瞭だった。ガラスのコップにしろ、ご飯茶碗にしろ、皿にしろ、湯呑みにしろ、しょっちゅう落として割るのである。月に2〜3回はガチャンという音がした。父はその場に居合わせると、大袈裟に両手で耳を押さえて見せた。そして「洗うのが面倒だから割るんじゃないか?」などと意地悪を言った。

 子である私は、片付けとか整理整頓は得意ではないが、物を落として壊すような事は無い。もっとも主婦と男性では、家事に関わる時間が度合いが全く違うから、比べても仕方ないか。

 同じ主婦という立場の家内はどうかと言えば、物を落として壊したことなど、私が思い出す限り無い。結婚した当初、それまでの人生で普通に目にしてきた光景が全く現れないので、不思議に思ったほどである。こういうことは、人によってずいぶん違うのだと、気付かされた。

 穂高に越して同居してからも、母はよく食器を落として割っていた。たまに遊びに来た姉も、時々やっていた。こちらの方に遺伝したようである。

 母の思い出のシーンはいろいろあるが、ガチャンと音がして「ああ、やっちゃった」と叫ぶ母の姿を懐かしく思い出す。それともう一つは、室内のドアを不用意にバーンと開けて、反対側に居た人にぶつけるというシーン。これもよくあった。要するに母はそそっかしい性格だったのである。

 私は、作業や動作においては慎重で丁寧だと自分でも思うが、あまり先を考えずに何かをおっぱじめる傾向もある。そのそそっかしさは、間違いなく母譲りだろう。




ーーー1/26−−− ゴルフボールの中身


 先週母の思い出を書いたが、その後また思い出したことがある。他人の思い出話など、退屈でつまらないと相場が決まっているが、特にこれはインパクトの大きな出来事だったので、お付き合い頂きたい。

 私が小学校に上がったか上がらないかの頃から、父はゴルフをやっていた。まだゴルフが一部の階級の楽しみに限られていた時代である。室内でパットの練習などをしていたので、家の中にはゴルフボールが転がっていた。ある日母は、ゴルフボールの中はどうなっているのだろう、と言い出した。

 母は、ボールを一個手に取ると、私と姉を誘って薄暗い台所に入った。そしてまな板の上にボールを乗せて、包丁を握った。ボールを切断し、内部を観察するという試みであった。硬いボールだから、簡単には切れないと思ったのだろう。母は、ボールの上に刃を当て、全体重を包丁にかけて押した。すると突然、予想もしなかった事が起きた。ボールの切れ目から凄い勢いで何かが飛び出し、天井にぶち当たったのだ。それは灰色の液体だった。天井にはべっとりと、灰色の染みが付いていた。私は腰を抜かさんばかりに驚いた。その光景を、今でも鮮明に覚えている。

 その後知ったのだが、同じような事をやって、飛び出した液体が目に入り失明するという事故が、各地で発生したそうである。